蘆名盛詮
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蘆名 盛詮(あしな もりあきら、1431年(永享3年)-1466年(文正元年))は、室町時代中期の武将。蘆名氏の第12代当主。第11代当主・蘆名盛信の子。蘆名盛高・猪苗代盛清の父。官位は遠江守。下総守。
1451年、父・盛信の死により家督を継いで当主となる。しかし家臣団の一部から盛詮の相続に不満を持つ者が現われ、これが原因となって蘆名氏内部で内乱が発生した。盛詮は結城直朝の支援を受けて、これを鎮圧している。1459年から伊達持宗や直朝と争ったが、決着はつかなかった。しかもこのような最中の翌年、将軍・足利義政から古河公方・足利成氏追討令を発されたが、盛詮は周囲の情況から従うことができずして終わった。1466年に死去し、後を子の蘆名盛高が継いだ。