藤原師保
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藤原師保(ふじわら の もろやす、生没年未詳)は、平安時代中期の人物。父は藤原忠平。母は、藤原師輔・師氏・師尹と名前が類似しているところから、源昭子(源能有の女)と考えられるが、明瞭ではない。
『栄花物語』の忠平の子息を紹介する段に「三郎の御有様おぼつかなし」とあるので、師保は忠平の三男であると推測される。忠平の二男師輔が延喜8年(908年)12月17日生まれで、四男師氏が延喜13年(913年)正月7日頃の生まれであり、忠平の日記(『貞信公記』)延喜10年(910年)7月7日条に忠平家で出産があったことが記されていることから、師保の生年月日は延喜10年7月7日と推測される。しかし、この記事が『尊卑分脈』等の系譜に記載されない忠平の子である可能性もあるので、生年は未詳とした。
師保の所伝は、『尊卑分脈』に「従五下、出家」とのみあり、法名、没年等の詳細な経歴は不明である。前記の『栄花物語』の記述などを勘案して推測するに、元服と同時に叙爵したものの(生年を延喜10年とし、元服を15・6歳とするならば延長2・3年〈924年・925年〉の叙爵であろうか)、廟堂で活躍することなく、すぐに出家したのであろう。
[編集] 参考文献
- 『貞信公記』
- 『尊卑分脈』
- 『栄花物語』