紅楼夢
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紅楼夢(こうろうむ)は、清朝中期乾隆帝の時代(18世紀中頃)に書かれた中国長篇白話小説の最高傑作。作者は曹雪芹とするのが定説だが、別人であるとする異説もある。三国志演義、水滸伝、西遊記とともに旧中国の傑作古典小説に数えられる(「四大古典小説」ともいわれる)。清代末期から紅楼夢を専門に研究する学問を紅学といい、この言葉は現代も使用される。毛沢東も愛読し、1950年代の中国で紅楼夢論争も戦わされた。石頭記(せきとうき・いしき)ともいう。
目次 |
[編集] 作者
作者とされる曹雪芹の祖父は康熙帝の時代に江寧織造として江南で清朝のために情報収集活動を行っていた曹寅という人物である。 康熙帝の寵愛を得て莫大な富を蓄積し、曹雪芹の父もその職を継いだが、雍正帝の時代になると寵愛は失われ、家産は没収された。一家は後に北京に移り、曹雪芹が紅楼夢を描いた18世紀半ばには粥を啜るような窮貧生活であったとされる。 このため、曹雪芹についてはよくわからないことが多い。なお、雪芹は字で、名は霑(てん)という。
[編集] 版本
紅楼夢の写本は、当初約110回存在したと推定されるが、稿本が流出後80回以降が何らかの原因で散佚し、そのまま補足されない状態で作者と思われる曹雪芹が死去。その約三十年後、出版者程偉元の請求のもとで、高鶚が40回を付け加え、活字印刷版の120回本が世の中に出回ることになる。この高鶚の40回にも、もともと存在した前80回の手書きによる稿本にも、程偉元自身によるかなりの添削が入っていると一般に思われる。
現存最古の手抄本「甲戌本」が発掘された1927年まで、紅楼夢は一般に活字印刷版の「程本」で流通しており(詳しくは「程甲本(1791)」と「程乙本(1792)」などと区別される)、物語の内容も「程本」で広く認識されていた。一方、手抄本のほとんどがすべて「脂硯斎重評石頭記」と題しており、それぞれ朱筆あるいは墨で本文の上や行間や脇に「脂硯斎」をはじめとする評論家による評論文字を書き足している。これら手抄本は一般に「脂評本」と称されている。
「脂評本」写本の系列の中で最も内容が古く、原稿に近いとされる「甲戌本(1754)」、「己卯本(1759)」、「庚辰本(1760)」などを詳しく調べると、印刷版の「程本」の原文字に対する添竄が明らかになる。このような添竄は、後継者高鶚と程偉元が書いた後40回の内容が、散逸した原作の精神と乖離すると判断するに十分なものとされている。
惜しくも、現存の全ての「脂評本」系列の手抄本は80回以降の内容について本文を残していないばかりでなく、散佚各回の題名「回目」も残されていない。そこで80回以降の原稿内容は、いわゆる「紅学」の中心問題の一つに数えられるようになった。80回以降の原稿の本文や回目は見つからないが、前80回の本文中の詩文や特定事件の表現手法、それに加え特に評論家脂硯斎や奇笏叟などによる評論文字などから、80回以降の少なくとも一部の内容は暗示または明記されているとみるのが定論である。
[編集] ストーリー
祖先の勲功により代々高官を出し、皇室の姻戚でもある上流階級の賈氏一族の貴公子賈宝玉を主人公とする。賈宝玉は勉学が嫌いで、豪邸に同居する美少女たちと風流生活を送る。小説はその生活の細部を描き、美少女たちとの交情を克明に記しながら進行する。賈宝玉は趣味の合う美少女、 林黛玉と相思相愛の関係となるが、お互いに心がうまく伝えられない。この繊細でプライドの高い林黛玉が女主人公の位置にある。だが、二人はお互いに引かれながらも、ささいな嫉妬から大喧嘩をし、結局は「金玉の縁」で結ばれた温和な良妻賢母型の薛宝釵と結婚することになる。この三角関係を軸に小説は展開する。やがて病弱な林黛玉は恨みを抱いて死に、賈家は権勢を嵩に民衆を苦しめた罪で家産を没収され没落し、人々も離散していく。
[編集] 登場人物
- 賈宝玉 主人公。才能はあり詩や恋愛小説(当時小説や戯曲は下等なものとされていた)には興味を示すが科挙方面の勉学は大嫌いで(詩の腕も黛玉や宝釵には及ばないという設定)、「女の子は水で出来た体、男は泥で出来た体」といってもっぱら一族の美少女を相手に交際を楽しんでいる。海棠詩社での号は怡紅公子。
- 林黛玉 メインヒロインその一。宝玉のいとこで幼なじみ。病弱で繊細、厭世的で神経質な美少女。宝玉のことが好きだが素直になれないでいる(ややツンデレ気味)。詩才と機知に富む。その風貌は西施や趙飛燕にたとえられる。西施同様よく眉を顰めている。海棠詩社での号は瀟湘妃子。金陵十二釵といわれる主要美少女の一人。
- 薛宝釵 メインヒロインその二。宝玉のいとこ。健康優良、頭脳明晰、人格円満、優等生タイプの美少女。詩も学問も人に優れてよくできるが、それらが女性が生きるのに価値があるとは思っていない。林黛玉とはなにかと対比され、中国には「恋をするなら林黛玉、妻にするなら薛宝釵」というフレーズもあるという。ありがちだが、兄はろくでなしの不良青年。楊貴妃にたとえられる。金陵十二釵の一人。
- 史湘雲 賈母の実家である史家の一族の少女。両親を早く亡くして叔父に養われているが、快活で率直な物言いをする。海棠詩社での号は沈霞旧友。金陵十二釵の一人。
- 王煕鳳 宝玉の伯父賈赦の息子の妻。宝玉の母方のいとこでもある。賈家随一のやり手で、気が強く頭脳明晰。奥向きの采配を一手に引き受ける実力者。あまり学問はない。金陵十二釵の一人。
- 秦可卿 宝玉の曾祖父初代栄国公の兄初代寧国公の玄孫の妻(従って年上ながら宝玉を「おじさま」と呼ぶ)。優しく落ち着いた人柄で誰からも慕われる佳人。金陵十二釵の一人。
- 賈元春 宝玉の同母姉。皇帝に召されて貴妃となった。後世の解釈で曹雪芹の生家曹家を庇護していた康煕帝に対比されることがある。元春の里帰りを迎えるために大観園が造営された。
- 賈探春 宝玉の異母妹。賢明で詩才のある美少女で、異母兄宝玉とも親しくしている。弟がいるが、こちらは愚鈍で母共々なにかと宝玉を陥れることを考えており、探春とはあまり仲が良くない。大観園に詩社(海棠詩社)が結成されるのは探春の呼びかけによるもの。詩社での号は蕉下客。金陵十二釵の一人。
- 賈惜春 賈珍の妹。潔癖性で、兄に代表される屋敷の淫蕩な空気を嫌っている。絵心があり、大観園の絵図を描いたことがある。金陵十二釵の一人。
- 妙玉 有髪の尼僧。聡明にして文筆の才あり若くして大観園内の草庵に庵主として招かれたが性狷介、俗人と交わるを潔しとしない孤高の美少女。金陵十二釵の一人。
- 襲人 宝玉付きの侍女。宝玉の初体験の相手で、侍女連の筆頭格。主人思いの良識的な人格者だが、その「主人思い」はえてして「宝玉に科挙方面の勉強に打ち込んでもらおう」という方向に発揮される。本名は花珍珠で、宝玉が陸游の詩にちなんで襲人と命名した。
- 平児 王煕鳳付きの侍女の筆頭格。有能で情け深い人柄で煕鳳の秘書役もこなす。煕鳳の勧めでその夫の妾の立場になったが、これは煕鳳が嫉妬深い本心を隠すためにやったことで(男子が出来ない妻が妾を夫に勧めるのは旧中国では婦人の美徳の一つであった)、それを心得てめったに同衾せず侍女の分を守っている。
- 賈母 宝玉の祖母(宝玉の父賈政の母)。一族の最長老で最高実力者。宝玉を溺愛しており、賈政が宝玉に厳しくできないのは賈母を恐れてのことである。信心深い。平凡社ライブラリー版では「後室」と訳されている。
- 劉ばあさん 賈宝玉の母王氏の遠縁の家に娘を嫁がせた老女だが、暮らしぶりも人となりもステレオタイプな農民そのもの。わずかな縁を頼りに賈家を訪れ、田舎者っぽさと意外な機知が受けて援助を引き出す。
- 賈政 宝玉の父。賈母とその夫賈代善の次男。謹厳な人物で、宝玉が勉強に熱心でないことはよく思っていないが、官職が多忙であることと賈母が宝玉を溺愛していることから半ば放任状態である。
- 賈赦 宝玉の伯父。賈母とその夫賈代善の長男。好色で賈母も「いい年をして」とあまりよく思っていない。賈母お気に入りの侍女を妾にもらい受けようとして大騒ぎを引き起こしたこともある。
- 賈敬 宝玉の祖父である栄国公賈代善の従兄弟である寧国公賈代化の子。物語の時点では隠居の身で、郊外の道教寺院で仙人修業に凝っている。俗塵を嫌うと称して自分の誕生祝いの宴会にも出て来ないほど。
- 賈珍 賈敬の子で寧国府の当主。威烈将軍の職にあるが戦争に行っている様子は全くない。こちらも好色漢で息子の嫁や妻の妹にまで手を出している背徳的な人物。
[編集] 特徴
この小説の特徴はストーリー中心のロマンではなく、当時の上流階級の日常生活が登場人物400人を超える規模で細部まで描きこまれていることである。三国志演義の「武」、水滸伝の「侠」に対して紅楼夢は「情」の文学であるとされる。 また士大夫の経世済民という表向きの世界ではなく、大貴族の深窓の令息令嬢の心理のひだが繊細に描きこまれている。弱くて感じやすい「児女の情」をテーマとするといえる。 その一方で、主人公たちは儒教道徳や官僚の腐敗、不正に対する痛烈な批判を口にしており、乾隆盛世と呼ばれた当時の社会に対する批判的色彩も帯びている。 なお、作中に当時の貴族社会の生活が克明に描かれており、文化史的にも価値がある。
[編集] 評価
民国時代になって胡適らの新紅学派は作者曹雪芹の人生をありのままに描いた自然主義文学であると提唱した。これに対してマルクス主義文学者からは「ブルジョア階級主観唯心主義」であるとする批判が起こり、新中国成立後の1950年代に紅楼夢論争が展開した。マルクス主義派は紅楼夢を男尊女卑の封建主義に反抗する階級闘争文学であると主張したのである。もっとも、こういう中国の政治の影響を受けた解釈には批判もあり、宮崎市定は「そんなことならなにも『紅楼夢』でなくともよいことだ。(中略)『紅楼夢』に描かれたのは、あくまでも繊細な、優美な感触である」(中公文庫「中国文明の歴史・清帝国の繁栄」)と書いている。九州大学教授の合山究は「紅楼夢=仙女崇拝小説」という説を著書「『紅楼夢』新論」(汲古書院)で立てている。
また、中国では非常に有名な小説であるため、映画や演劇、テレビドラマ化されることが多い。
[編集] 翻訳
日本では早くから岩波文庫などから日本語訳が出版されている。岩波文庫本(松枝茂夫訳)は長らく絶版であったが近年復活した。平凡社から、平凡社ライブラリー版で出版されているもの(伊藤漱平訳)が、2008年現在ではよりたやすく入手可能である(なお、この訳は平凡社中国古典文学大系などで出版されたものの伊藤自身による改訳版である)。この他、近年フランス語、英語、ドイツ語訳が相継いで出版されている。中国でドラマ化されたことがあり、日本でもVHS、DVDで入手可能である。