福山大空襲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
福山大空襲(ふくやまだいくうしゅう)とは、1945年8月8日22時頃 マリアナ諸島テニアン島の基地より発進したアメリカ陸軍戦略航空軍所属のB-29爆撃機91機により福山市が受けた空襲である。
目次 |
[編集] 概要
焼夷集束弾や普通爆弾などによりまず市周辺部、次いで市中心部が無差別爆撃を受けた。この逃げ道を火の海にして退路を塞ぐ攻撃法は、日本本土空襲におけるアメリカ軍の常套手段であった。
当時の福山市にあった日本火薬(現在の福山日本化薬)・三菱航空機(現在の三菱電機福山製作所)・帝国染料などの軍需工場、帝国陸軍歩兵第41連隊司令部及びその付属施設、帝国海軍福山海軍航空隊が主要な目標とされた。
[編集] 損害
[編集] 戦果
- なし なお市内には複数の高射砲などが配置されており反撃したが戦果はなかった。高射砲のうち、ひとつは川口小学校内に布陣していたという。
[編集] その他
- 福山海軍航空隊などへのアメリカ海軍艦載機の機銃掃射攻撃は福山大空襲以前にも頻繁に行われていた。
- 当時、福山市は人口6万人程度の小都市で市内とその周辺には阪神方面からの学童疎開してきた子供が多く滞在していたため、市民から「まさか空襲の標的にはならないだろう」という声もあった。
- アメリカ軍が空襲前に空中から撒いたプロパガンタビラには空襲予告都市に「福山」の名があったが、当局がすぐに回収したため、ほとんど伝わることはなかった。
- 空襲の犠牲者の慰霊碑は、逃げ待とう母子3人の銅像である。これは翌日に田んぼで火に撒かれ絶命していた母子3人(氏名も判明しており、市内の主婦と2名の子供であった)を慰霊する主旨となっている。
[編集] 外部リンク
- 福山市人権平和資料館: 福山空襲の実相