神津島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
神津島 | |
---|---|
座標 | 北緯34度13分 東経139度9分 |
面積 | 18.48km² |
海岸線長 | 22km |
最高標高 | 571m |
所在海域 | 太平洋 |
所属国・地域 | 日本(東京都) |
神津島(こうづしま)とは、伊豆諸島の島の一つ。面積は18.48km²(国土地理院調べ)。 東京都神津島村に属する。
(島の経済、行政、交通等の情報は神津島村を参照のこと。)
[編集] 地理
本島は式根島とは10kmほどしか離れていない。伊豆諸島の有人島としては最も西にある。ひょうたん型をしており天上山(標高571m)を中心とした北部と秩父山のある南部とに大きく分けられる。
天上山には火口原があり、ここに、「表砂漠」「裏砂漠」と呼ばれる砂地がある。頂上が平坦で高度もあまり高くないにもかかわらず、本州では2000m級の高山に生育しているような高山植物も見られる山である。天上山は838年(承和5)に大規模な噴火をしたことが続日本後紀の記録などから明らかになっている。
南部と北部の間の西側の前浜沿いに主な集落がある。島の他の地域には字滝川、字高処山のように字があるが、この地域には字も町名も指定されていない。
御蔵島や青ヶ島など伊豆諸島には断崖絶壁に囲まれた島が多い中、神津島は比較的平坦で砂浜海岸が多い。
[編集] 歴史
本島は、840年(承和7)に伊豆国加茂郡の上津嶋として名があらわれる。
現代、神津島では、砂糠崎(さぬかさき)・沢尻湾・恩馳島(おんばせしま)に黒曜石があるが、後期旧石器時代から石器の材料として採取され、大量に本州に送られた。その流布範囲は広く、東は東京都、西は静岡県西部、さらに内陸部の山梨県北杜市の横針前久保遺跡にまで達し、半径約180キロ近くまで拡がっていた。旧石器時代の人々が船を使っていたことを示す貴重な間接証拠である。採掘は縄文時代まで続いた。
神話によれば伊豆の島々を造った神様が集まるところということから「神集島」が生まれ、それが転訛して神津島といわれる。古文書のなかには「神集島」と書いているものもある。
江戸時代初期、キリシタン・ジュリアおたあが流罪になり、神津島で没したという伝説があり、島内には墓所とされるものがある。また、ジュリア祭が毎年行われている。