石川総親
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石川 総親(いしかわ ふさちか、天明8年9月10日(1788年10月9日) - 文化5年(1808年))は、常陸下館藩の第6代藩主。伊勢亀山藩石川家支藩8代。
越後長岡藩主・牧野忠精の次男。正室は石川総般の養女(石川総弾の娘)。官位は従五位下。近江守。
天明8年(1788年)9月10日生まれ。寛政8年(1796年)12月29日、先代藩主・石川総般の養嗣子となり、享和2年(1802年)の総般の死去により後を継いだ。藩財政が悪化していたため、倹約令を出すなどしたが効果は無く、文化5年(1808年)9月25日、または9月29日に21歳の若さで死去した。後を先代・総般の長男で養嗣子の石川総承が継いだ。法号:思成院殿総親日悟大居士。墓所:東京都北区田端の大久寺。
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