石川総茂
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石川 総茂(いしかわ ふさしげ、寛文11年(1671年) - 享保18年9月18日(1733年10月23日))は、伊勢神戸藩の第3代藩主。常陸下館藩の初代藩主。伊勢亀山藩石川家支藩3代。
伊勢神戸藩第2代藩主・石川総良の長男。母は本多忠義の娘。正室は石川昌能の娘。官位は従五位下。従四位下。近江守。
貞享2年(1685年)9月2日、父の後を受けて神戸藩の藩主となる。この時、弟の大久保忠明に3000石を分与し、石高は1万7000石となった。奏者番・寺社奉行を兼任し、享保2年(1717年)9月には若年寄となった。側用人にもなっている。神戸藩の藩政においては、総茂自身が有能篤実なこともあって善政が布かれ、領民から大いに慕われていた。その例を示すものとして、享保17年(1732年)3月1日に総茂は3000石加増の上で常陸下館に加増移封を命じられたが、このとき神戸藩の領民の多くがこの移封に反対し、藩主に神戸にとどまるように嘆願書を差し出したほどであったと言われている。享保18年(1733年)9月16日、63歳で死去し、後を養嗣子の石川総陽が継いだ。
法号:大機院殿四品江州大守円厳応大居士。墓所:東京都北区田端の大久寺。
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