石垣山城
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石垣山城 (神奈川県) |
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井戸曲輪 |
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通称 | 石垣山一夜城 |
城郭構造 | 悌郭式山城 |
天守構造 | 不明 |
築城主 | 豊臣秀吉 |
築城年 | 天正18年(1590年) |
主な改修者 | なし |
主な城主 | 豊臣氏 |
廃城年 | 天正18年(1590年) |
遺構 | 石垣、曲輪、堀切、井戸 |
指定文化財 | 国史跡 |
再建造物 | なし |
位置 | 北緯35度14分7.12秒 東経139度7分37.18秒 |
石垣山城(いしがきやまじょう)は、神奈川県小田原市早川にある豊臣秀吉が1590年(天正18年)の小田原征伐の際に小田原城の西3kmにある笠懸山の山頂に構築した陣城跡。石垣山一夜城とも呼ばれている。
現在は城跡は公園として整備されている。
目次 |
[編集] 概要
小田原城から見えないように築き、完成後に周囲の木を伐採したため、北条氏側に一夜にして築城されたかのように見せて驚かせ、戦闘意欲を失わせる効果を果たした、といわれる(一夜城の名もそれに由来する)。
石垣や櫓を備えた本格的な「近世城郭」であり、関東で最初に造られた総石垣の城であった。約3~4万人を動員し、わずか80日で構築された。秀吉はこの城で茶会を開いたり、天皇の勅使を迎えた。当時、天守があったかどうかははっきりしないが、天守台跡はある。関東大震災で石垣に大きな被害を受けたが、井戸曲輪の石垣は立派であり、地震に耐えて現在もよく残っている。
1959年に国指定史跡になり、現在は石垣山一夜城歴史公園として整備されている。