石井忠恭
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石井 忠恭(いしい ただやす、1833年(天保4年)8月 - 1904年(明治37年)7月13日)は、日本の裁判官、政治家。
[編集] 来歴
元佐賀藩士。明治になって政府に出仕し、1872年(明治5年)に北畠治房、大久保親正らとともに、司法権少判事に任官する。その後、長崎地方裁判所長、高知地方裁判所長、京都地方裁判所長を歴任し、1879年(明治12年)には大審院判事に就任。1888年(明治21年)には広島控訴院検事長に転任し、その後、大審院評定官をつとめた。1898年(明治31年)には、大隈重信の推挙で貴族院議員に勅撰される。従三位、旭日小綬章を受ける。