玉葉
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『玉葉』(ぎょくよう)は、関白・太政大臣九条兼実の日記。別名玉海、月輪兼実公記とも。朝廷から武家政治への激動期に際して関白の職にあった兼実の公私にわたる記録である。
[編集] 概要
記述は1164年(長寛2年)から1200年(正治2年)に及んでいる。公家の日記は、宮中行事のしきたりなどを後に伝える目的があり、儀式の次第が詳細に記されている。
また、当時の源平の争乱についても多く記されており、平安時代末期から鎌倉時代初期の変動期についての基礎史料になっている。同時代の史料としては『吾妻鏡』もあるが、これは鎌倉幕府の北条氏の立場で編纂された正史に近いものであるから、朝廷側の人間の日記として記述された『玉葉』と相補的に用いられることが多い。
兼実の孫である九条道家没後、元本は一条家に、写本が九条家に伝来された。また、二条家では『玉葉』という名称を用いずに『玉海』と呼称を用いたとされている。
[編集] 参考文献
- 国史大辞典編集委員会 編『国史大辞典』第4巻(吉川弘文館、1984年) ISBN 4-642-00504-8