狭山陣屋
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狭山陣屋(さやまじんや)は、大阪府大阪狭山市狭山3丁目(河内国丹南郡狭山)にあった陣屋で、狭山藩の藩庁である。
[編集] 概要
当初、後北条氏の血を引く北条氏規の大坂屋敷のあった地で政務を執っていた。
陣屋は広大な狭山池の東部側に築かれた。天正18年(1590年)、豊臣秀吉による小田原征伐により、徳川家康の娘婿の北条氏直が高野山にて蟄居を命ぜられ、翌年赦され秀吉から1万石を与えられたが、程なくして死去し、北条氏の本家の歴史は終結した。
のちに、河内国に領地のあった(元伊豆国韮山城主)北条氏規の嗣子、氏盛が氏規の遺領をあわせ、慶長5年(1600年)狭山の地で1万石の外様大名になる。
陣屋は2代氏信の代の元和2年(1616年)に、上屋敷は氏宗の代に、下屋敷は氏朝の代に完成した。以後12代氏恭の代に明治維新を迎える。
御殿は天明2年(1782年)に焼失し、天明6年(1786年)再建される。
[編集] 遺構
遺構は大阪府堺市堺区神明東2丁目にある西本願寺堺別院に陣屋表門が移築現存されている。陣屋跡には何も残されていないが、上屋敷跡の付近の公園には石碑と説明案内板があり、下屋敷跡は旧狭山遊園地になっていた。市の埋蔵文化財に指定されている。