源頼実
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源 頼実(みなもと の よりざね、長和4年(1015年) - 長久5年6月7日(1044年7月4日))は、平安時代中期の歌人。清和源氏頼光流。源頼国の三男。母は播磨守藤原信理女。兄弟に頼資、実国、頼綱、国房、師光、六条斎院宣旨などがあり、実国は同母弟。従五位下、左衛門尉。和歌六人党の一人。
長久4年(1043年)左衛門尉で蔵人を兼帯していた。源師房の邸宅に出入りしていた歌人の一人で、長暦元年(1037年)及び長暦2年(1038年)の権大納言師房歌合や、橘義清家歌合にも参加している。わが身を秀歌一首と引き換えにすることを住吉大社に祈って夭折した逸話は有名。『後拾遺和歌集』に5首、『玉葉和歌集』に1首、『風雅和歌集』に1首それぞれ入集している。歌集『頼実集』(別名『故侍中左金吾集』とも)を残す。
木の葉ちる宿はききわくかたぞなき時雨する夜も時雨せぬ夜も(『後拾遺和歌集』歌番号382)
[編集] 補足
『尊卑分脈』では源頼信の三男頼季は頼実の子であるともしているが、詳細は不明。