源師子
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源 師子(みなもと の もろこ、延久2年(1070年) - 久安4年12月14日(1149年1月25日))は白河天皇の後宮で藤原忠実の妻。六条右大臣源顕房の娘。母は源隆俊の娘隆子。但し母は隆子ではなく後冷泉天皇女房の式部命婦(筑前権守藤原信尹女)とする異説もある(「栄花物語」より)。賢子・雅実らの妹。高陽院藤原泰子(鳥羽天皇皇后)・関白藤原忠通の母。
初め白河天皇の寵愛を受けたが、寛治5年(1091年)白河天皇の胤を妊娠したまま藤原忠実に嫁ぎ、その年の12月29日皇子(のちの覚法法親王)を出産した。その後、師子は忠実との間に泰子と忠通を産んだ。康和4年(1102年)従三位に叙せられ、天仁2年(1109年)従二位に進み政所を開設、更に従一位に昇進した。長承3年(1134年)出家。康治元年(1142年)には仁和寺に堂舎を建ててそこに住んだ。久安4年(1148年)12月に病気になり、79歳の長寿を全うした。