河村良彦
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河村 良彦(かわむら よしひこ、1924年9月21日 - )はイトマン事件発覚当時の、イトマン社長。
[編集] 経歴
1941年に、住友銀行に入社。『住友銀行中興の祖』と称される磯田一郎に抜擢され、常務にまで上り詰める。
1975年には、当時メインバンクとして支えており、大阪証券取引所にも上場していた老舗企業イトマンに入社。当時イトマンはオイルショックによって倒産寸前であったが、河村は「意識革命」を徹底し、結果として2年後には48億4900万円もあった累積赤字を一掃、翌年にはとうとう復配にこぎつけることに成功する。
しかしこの成功が彼の独裁化を招く。石油の信用取引である石油業転に手を出したり、住友銀行の要請で平和相互銀行の株を引き取ったりしたことから、再び経営は悪化。その結果として彼は、拡大路線の切り札として伊藤寿永光をイトマンに入社させる。
伊藤は許永中とともに、イトマンに総額528億円以上の絵画を仕入れさせたり(この絵画の実際の価値は265億円ほどであったとされる)、さまざまなプロジェクトへの資金を出させるなどして、イトマンから資金を引き出して着服、河村はこれを看過してしまう(詳しくは『イトマン事件』参照)。
この事件により河村は、1991年に伊藤・許と共に特別背任容疑などで起訴され、2005年に懲役7年の刑が確定した。
また、1999年の大阪府知事選挙に無所属で立候補するが、18,385票で落選(供託金没収)で、立候補者9人のうち8位だった。(当選者は横山ノック)
[編集] 参考文献
- 朝日新聞大阪社会部『イトマン事件の深層』 東京 朝日新聞社、ISBN 4-02-256411-3