横山ひとし
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
横山ひとし(よこやま ひとし;1969年7月23日- )は、京都府出身の漫才師、作家、俳優、レーサー。横山やすしの最後の弟子。
目次 |
[編集] 略歴・人物
[編集] やすしの最後の弟子として
1993年8月27日に横山やすしに弟子入り。門下時代は厳しい修行をこなし、やすしからも絶賛を受けた。1996年1月21日にやすしの死去を期に漫才、俳優、作家、レースなどで活動する。やすしの不遇の晩年を知る人物である。
数々の漫才コンビを組んだが、全て解散する。現在は相方不在で、コンビ別れの名人の異名を持つ師匠横山やすしに匹敵する。ボートレースに出場していたやすしの影響か、ひとしもパワーボートからヨットまで乗りこなし、操縦は師匠に負けず劣らずピカイチである。ボートに乗ればやすし亡きあと芸能界一である。
[編集] 不発弾処理活動
日本の負の遺産である不発弾が各国に残っている事を知り、1998年に自らの生命を懸けて太平洋戦争の激戦地であったガダルカナル島で不発弾処理活動を行った。61個(日本軍・アメリカ軍の物含め、迫撃砲・手榴弾等)を回収しソロモン政府より爆破処理許可を受けたオーストラリア駐留軍爆破処理隊と共に爆破処理を行った。
[編集] 所属事務所
以前は横山やすしが吉本興業を解雇された後に所属した阪田エージェンシーに所属、やすしが死去した後は、やすしと交友関係のあったビートたけしの事務所「オフィス北野」に移籍していた。現在はフリー。
[編集] レーサーとして
16歳からバイクに親しみ、鈴鹿サーキットを中心に活動する。 そして、2005年9月国内A級ライセンスを取得しレーシングドライバーの和田孝夫が代表のWRS ワダレーシングスポーツに入門。2007年にSUPER GTにGT300クラスにYOKOYAMA RACINGで参戦する。チーム代表兼監督。
[編集] 著書
- 「師匠」ぶんか社-(ISBN 4-8211-0520-9)