梁川藩
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梁川藩(やながわはん)は江戸時代の一時期、陸奥国(後の岩代国)伊達郡に存した藩。現在の福島県伊達市梁川町鶴ヶ岡の梁川城跡に陣屋を置いた。当初は尾張藩徳川家の支藩。後には一時、松前氏が入封した。
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[編集] 沿革
天和3年(1683年)尾張藩2代藩主・徳川光友の三男・松平義昌が3万石にて立藩。享保14年(1729年)3代・義真が無嗣子のため廃絶。
同年、尾張藩3代藩主・徳川綱誠の十九男・松平通春(後の徳川宗春)に改めて3万石が与えられた。翌享保15年(1730年)通春は尾張藩を相続したため、一時廃藩となった。
文化4年(1807年)蝦夷地召し上げに伴い蝦夷松前藩より松前章広が9千石(実高1万8600石)にて転封。文政4年(1821年)再び蝦夷地を返還されたため廃藩となった。
[編集] 歴代藩主
[編集] 松平(まつだいら)〔尾張(おわり)〕家
- 義昌(よしまさ)〔従四位下、出雲守・少将〕 尾張藩主・徳川右衛門督光友の子。それまで簗川だった地名を梁川に改めた。
- 義方(よしかた)〔従四位下、出雲守・少将・侍従〕
- 義真(よしざね)〔従四位下、式部大輔・侍従〕
- 通春(みちはる)〔従五位下、主計頭・侍従〕 尾張藩主徳川右衛門督綱誠の子 後、尾張藩主・徳川宗春となる
[編集] 松前(まつまえ)家
外様 9千石 (1807年 - 1821年)
- 章広(あきひろ)〔従五位下、志摩守〕
- 現在、梁川町商業事業協同組合が発行する梁川町共通商品券「やながわ藩札」には、函館市立函館図書館蔵の蠣崎波響の梁川八景より「広瀬橋微雪」をあしらっている。蠣崎波響は松前氏の同族で、梁川時代の松前藩家老、多くの書画を残している。