桐島洋子
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桐島 洋子(きりしま ようこ、1937年7月6日 - )は、エッセイスト、ノンフィクション作家。長女は歌手・女優の桐島かれん、次女はエッセイストの桐島ノエル、長男は写真家の桐島ローランド。
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[編集] 略歴・人物
東京生まれ。父は三菱財閥の重役だったが、元来は画家志望で、やはり三菱の重役だった父(桐島の祖父)の命令で跡継ぎになっていた。教養ある文化人であった父から、様々なことを教わったという。なお、現在、桐島のHPにおいて、父母の日記等から、桐島家の歴史についての連載をしている。
だが、その祖父は死去し、桐島の父は上海に渡って新聞社を経営することになり、家族も同行した。1945年、敗戦の半年前に一家で日本に戻り、生家は没落。神奈川県葉山で育つ。
高校卒業後、文藝春秋新社に入社、1957年、20歳で記者となる。
1962年、ダイビングで知り合った26歳年上のアメリカ人の退役海軍中佐と熱愛関係となる。相手には離婚係争中の妻があったが妊娠し、1964年に「未婚の母」として、桐島かれんを産む。なお、編集の仕事をやめたくなかったので、いつも大きなブラウスを着て出勤して妊娠を隠し、最後の2ヶ月は病気休暇をとって出産し、その後1週間で職場に復帰した。
翌年、桐島ノエルを身ごもり、やはり長期休暇を取って会社には内緒で産むつもりが、業務多忙のため適わず、退社してフリーのルポライターとなる。なお、「出産休暇」のために予定していた2ヶ月のヨーロッパ旅行にはそのまま出かけ、「船上出産は医療費がかからない」ため、マルセイユから帰国の船にのり、到着すぐ前ののクリスマスの日にノエルを出産。
長男桐島ローランドを妊娠中、ヴェトナム戦争のルポに出かける。従軍記者として、戦争の前線にも立ち、爆撃機にも乗った。
その後、愛人と別れ、3人の子供はそれぞれ別の場所に預けて、単身アメリカに渡り、様々な職業につく。その最中に「万が一の場合の子供たちへの遺書」的な意味もこめて、「破天荒なシングル・マザー」としての経験を書いた自伝的エッセイ『渚と澪と舵』(題名は、三人の子の日本名)を刊行。新しい女の生き方を示して、多くのファンを得る。
その後は、一人で三人の子育てをしながらアメリカを放浪する。その体験を描き、また寒々しいアメリカ人たちの人間関係の事情を描写した『淋しいアメリカ人』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞する。
以降、女性の生き方についての本や、料理についての本などを執筆、翻訳する。1976年の『聡明な女は料理がうまい』はベストセラーになる。その印税で一家で、ニューヨーク郊外の、緑あふれる高級避暑地であるイーストハンプトンの大きな借家で、1年暮らした。その生活は著書、『マザー・グースと三匹の子豚たち』の描かれている。
また、1977年に創刊された女性雑誌「クロワッサン」が、1978年から「新しい女性の生き方を追う雑誌」に路線を変更すると、「カリスマ・シングル・マザー」として「生きかたの見本」として20代の読者たちから憧れの対象になる。だがこのことで、のちに、1988年刊行の松原惇子『クロワッサン症候群』で批判された。
骨董の収集を趣味とし、1982年、45歳の時、12歳年下の美術鑑定家・エッセイストの勝見洋一と結婚。五年目から、署名捺印した離婚届をお互いが持ち、自由な関係にしておいた。
1987年、50歳で、人生の「林住期」を宣言し、ヴァンクーヴァーの別邸を買い、「林住庵」と名づけて年の三分の一を住むようになる。
1990年代から、サントリー学芸賞社会・風俗部門選考委員を務めたが、2000年度、勝見がこの部門で受賞したことで、批判を受けた(ベスト・エッセイ集『象が歩いた』参照)。翌年、選考委員を辞任、また2002年、勝見とも離婚し、友達関係に戻った。
また、近年は気功を始めとした、スピリチャリズムに傾倒している。1994年の著書『見えない海に漕ぎ出して』では、超能力、心霊治療、サイババの奇跡、インディアンの秘薬などについて、書かれている。
2007年に70歳を迎えたことを期に、2008年1月から中目黒の自宅で、私塾「森羅塾」を主宰するようになった。
[編集] 著作
- 渚と澪と舵 オリオン出版社, 1970 のち「風の置手紙」と改題、角川文庫、原題に戻して文春文庫
- 淋しいアメリカ人 文芸春秋, 1971 のち文庫
- ボトムレスUSA 性的人間紀行 R出版, 1971
- 人間直言 桐島洋子対談集 ゆまにて, 1974
- つよい女は美しい 新おんな考 小沢遼子対談 ゆまにて出版, 1974
- 生きることを熱烈に愛する40のおはなし じゃこめてい出版, 1975 「りんごの樹の下で」と改題、角川文庫
- 女がはばたくとき 愛・自由・旅のノオト PHP研究所, 1975 のち角川文庫
- 蒼空に出逢いを求めて PHP研究所, 1976 のち角川文庫
- 聡明な女は料理がうまい 女ひとりの優雅な食卓から-パーティのひらき方まで 主婦と生活社, 1976 のち文春文庫
- 女ざかりの美学 優雅な成熟の季節に じゃこめてい出版, 1976 のち角川文庫
- 大統領まで裸になって ボトムレスUSA軽紀行 住宅新報社, 1976
- 対談女が斬る 小沢遼子 講談社, 1976
- さよならなんてこわくない 日本交通公社出版事業局, 1977 のち角川文庫
- マザー・グースと三匹の子豚たち 文芸春秋, 1978 のち文庫
- 貴方にもこの潮風を樹の匂いを 文芸春秋, 1978 のち角川文庫
- 男と女 池田満寿夫 講談社, 1978 のち角川文庫
- 知的野生教育 親が子に与えるべき“3つの自立" 竹村健一 祥伝社, 1978
- ふり向けば青い海 私の航跡ノート じゃこめてい出版, 1978 のち角川文庫
- おんなの愛情未来学 編著 講談社, 1979
- 女ざかりからの出発 文化出版局, 1979 のち角川文庫
- 比較男類学 ユニーク対談 日本交通公社出版事業局, 1980
- 男ざかりの美学 文芸春秋, 1981 のち文庫
- マザーグースとお茶を 桐島洋子対談集 桐島洋子と9人の素晴らしき女性たち 婦人生活社, 1981 のち角川文庫
- 女ざかりからの旅 文化出版局, 1982 のち角川文庫
- 家族になるものこの指とまれ 文芸春秋, 1983 のち文庫
- 大草原に潮騒が聴える 文芸春秋, 1984 (書下ろしノンフィクション) のち文庫
- 女は凛々しく人生を料理する ソニア・フリードマン(訳)三笠書房, 1984
- カレンとノエルとママ洋子 角川文庫, 1984
- 牡蛎は饒舌だった 美食の貝合わせ ティビーエス・ブリタニカ, 1984 副題を正題にして角川文庫
- 女の午后の胸さわぎ 角川書店, 1986 のち文庫
- 深層愛情学 キャロル・ボトウィン(訳)三笠書房, 1986
- 猫のようにしなやかに地球を歩こう 角川書店, 1986
- 母親時代 いったいどんな母親かしら アーマ・ボンベック 加藤風美共訳 ダイナミックセラーズ, 1987
- 虹子の冒険 光文社, 1987
- 魔女のホウキに乗っかって マザーグースと三匹の子豚たちの世界一周卒業旅行 ハイセンス出版, 1988
- 林住期が始まる 華やぎの午後のために 海竜社, 1989
- 林住期ノート 人生の秋を生きる 世界文化社, 1990
- 刻のしずく 続・林住期ノート 世界文化社, 1991
- 母親って大変なんだからね! 元気が出る母の本 アーマ・ボンベック 加藤風美共訳 ダイナミックセラーズ出版, 1993
- 見えない海に漕ぎ出して 私の「神」探し 海竜社, 1994
- 林住期を愉しむ 水のように風のように 海竜社, 1998
- ガールイエスタデイ わたしはこんな少女だった フェリシモ, 1999
- 聡明な女は身体を磨く 桐島ノエル共著 フェリシモ, 1999
- いつでも今日が人生の始まり! 50代からの気持ちのいい生き方・暮らし方 大和書房, 2003
- 女が冴えるとき グラフ社, 2005
- 残り時間には福がある 海竜社, 2006
- 骨董物語 講談社, 2006
[編集] 参考
- 「ふたたび「桐島洋子」入門」『週刊朝日』2004年11月5日号)