松平昌勝
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松平 昌勝(まつだいら まさかつ、寛永13年3月11日(1636年4月16日) - 元禄6年7月27日(1693年8月28日))は、越前松岡藩の初代藩主。越前松平忠昌の長男。母は白石氏(幾久)。正室は松平定行の娘・菊姫。側室に中根氏。上坂氏。秋山氏など。子に松平綱昌(長男)、松平宗昌(三男)、松平吉邦(六男)、娘(松平吉透室)。官位は従四位下、中務大輔。
寛永13年(1636年)3月11日生まれ。幼名は千菊丸。松平光通の兄に当たるが、母の身分が低かったために世子となれず、福井藩の家督を継ぐことはできなかった。そのため、正保2年(1645年)に5万石を分与されて支藩の松岡藩主となった。しかし本家の家督を継げなかったことに不満を持ち、後に起こることとなる福井藩騒動の一因を作ることとなった。ちなみに子の綱昌、宗昌、吉邦らはいずれも福井藩主となっている。
元禄6年(1693年)7月27日に58歳で死去し、後を三男の松平昌平(後の宗昌)が継いだ。墓所:東京都品川区南品川の天竜寺。
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