東邦電力
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東邦電力(とうほうでんりょく)は日本の大正・昭和戦前期に存在した電力会社。五大電力の一つ。
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[編集] 沿革
- 前史
- 1905年 奈良を中心に事業を行う関西水力電気が設立
- 1921年 名古屋電燈を合併し、関西電気と改称
1922年 関西電気は九州電灯鉄道を合併し、九州北部、近畿、中部(1府11県)に及ぶ事業を行うようになったため、東邦電力と改称した。社長は伊丹弥太郎、副社長は(後に「電力王」と呼ばれた)松永安左エ門で、本社は東京に置かれた。発足時の供給区域は1府11県(愛知、岐阜、静岡、三重、京都、奈良、山口、福岡、長崎、佐賀、熊本)15市112町596村であった。
その後も事業区域を伸ばし、五大電力(東京電燈、東邦電力、大同電力、日本電力、宇治川電気) の一つとされるようになった。
[編集] 東京進出
1925年、関東大震災のため経営難に陥っていた早川電力(静岡、横浜、東京に供給していた)を引き受け、先に支配下に置いていた群馬電力と合併させ、東京電力を設立した(東邦電力の子会社で、松永が副社長を兼ねた。現存の東京電力とは別)。東京電力は低料金を謳い、東京電燈と覇権を争った。結局、この2社は1928年に合併し、新たに東京電燈が設立。筆頭株主の松永が取締役に就任した。
[編集] 国家統制へ
松永は1928年、東邦電力社長に就任した。東北にも子会社(東北電気、社長は松永)を設立。1937年には合同電気(三重、和歌山、徳島などに供給)を合併し、1941年末時点の供給区域は1府13県(愛知、岐阜、静岡、三重、滋賀、京都、奈良、和歌山、兵庫、徳島、福岡、長崎、佐賀、熊本)25市283町1106村であった(山口県内は1933年、山口県電気局に譲渡)。
1942年、国家総動員法により1発電9配電体制に再編されることになり、東邦電力も解散し、日本発送電及び4配電会社(九州、関西、中部、四国)に事業を譲った。
[編集] その他
- 中京をエリアとし、四大都市ガスといわれる東邦ガス(本社名古屋)は1922年の設立。関西電気から東邦電力への改称と同時に、従来のガス事業部門を独立させたものである。
- 福岡市内においては、九州電灯軌道と合併した名残で、1922年~1934年の間は路面電車営業を行った。この前身は1910年に開業した福博電気軌道で、1934年に博多電気軌道との統合で福博電車となった後、1942年には西日本鉄道に統合されて同社の福岡市内線となり、1979年に全廃されている。
- また宇治山田市(後の伊勢市)においても1937年~1939年の間、和歌山市でも1937年~1940年にかけて、それぞれ路面電車事業を行った。三重交通神都線・南海和歌山軌道線を参照のこと。