旧ワサ・ダウン住宅
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旧ワサ・ダウン住宅は香川県高松市の四国村(四国民家博物館)にある異人館。
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[編集] 概要
明治38年、神戸市の北野町に英国人ウィリアム・ダウン(William Down Sr.)[1]の自邸として建設された木造2階建の西洋館は、外壁下見板張のコロニアルスタイルという、いわゆる異人館の様式である。
竣工年にウィリアム・ダウンが死去したため、妻の名前によりワサ・ダウン住宅として呼ばれるようになった。(#ワサ・ダウンについてを参照)
昭和19年から昭和50年まで日本郵船の船員寮東棟として使用され(西棟は現みなと異人館)、このときまでに階段位置の変更など内部に改造が加えられている。日本郵船の寄贈により昭和51年に現在地である四国村に移築され、神戸市の指導によって建設当初の姿に復元された。現在は1階を喫茶室、2階を事務室として活用されている。
なお、玄関前の羊飼像とガーデンテーブル・チェアは19世紀にハンプシャーのマナーハウスで使用されていたもので、ガス灯とポストはチェルシーで使用されていたもの。
[編集] ワサ・ダウンについて
ワサ・ダウンとは英国海軍軍艦 H.M.S.Iron Duke にて1873年10月27日に長崎に上陸した英国軍人 ウィリアム・ダウンと結婚した長崎の丸勢兵太郎の娘、丸勢ワサという日本人女性である。
四国村のワサ・ダウン邸はウィリアム・ダウンが亡くなった明治38年に神戸・北野に建てられた家でワサが73歳で亡くなるまで住んでいたと云われる。ワサは熱心なキリスト教信者で洗礼名をモニカ(Monica)と称し、ウィリアムとの間に5人の息子と3人の娘をもうけた。ダウン・ファミリーは、日本の神戸・横浜、また米国、カナダ、イギリス、オランダ、その他の国で存続している。
[編集] 建築概要
- 設計 - 不詳
- 竣工 - 1905年(明治38年)
- 構造 - 木造、地上2階建て、寄棟造、桟瓦葺き、下見板張り、1階正面吹放し、2階正面ベランダ
- 建築面積 - 111m²
- 所在地 - 香川県高松市屋島中町96 四国村内
- 旧所在 - 兵庫県神戸市生田区北野町
[編集] 文化財
- 登録有形文化財(国指定)
- 主屋 - 明治38年竣工、昭和51年移築、2000年登録
- 正門,石造門柱 - 明治38年竣工、高さ2.2m、木製門扉付、昭和51年移築、2000年登録
- 東門,石造門柱 - 明治38年竣工、高さ2.2m、木製門扉付、昭和51年移築、2000年登録
[編集] 利用情報
- 所在地 - 〒761-0112 香川県高松市屋島中町91
- 開村時間 - 4月~10月は8:30~17:00、11月~3月は8:30~16:30
- 閉村日 - 年中無休
[編集] 交通アクセス
[編集] 脚注
- ^ ウィリアム・ダウン - 1849年10月8日~1905年2月20日、55歳で神戸にて死す。英国Devon出身。