応天門
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応天門(おうてんもん、應天門)
応天門(おうてんもん、應天門)は、平城京、平安京大内裏にあった門で、朝廷内での政務・重要な儀式を行う場であった朝堂院(八省院)の正門であった。朱雀門のすぐ北にあり、朱雀門・会昌門と並ぶ重要な門であった。
日本で隋・唐の律令制が導入されると、隋・唐の都城設計の強い影響を受け、都城を建設した。平安京の扁額は空海の筆によるものと言われている。貞観8年(866年)、応天門の変で放火されたことで有名であるが、その他にもたびたび失われ、治承元年(1177年)の大火で失われて以降、再建されなくなった。平安神宮の応天門は、平安京の応天門を5/8のサイズで模したものである。