強訴
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強訴(ごうそ)とは強硬な態度で相手に訴えかける行動を指す。
[編集] 寺社
寺社の僧や僧兵、神人が、仏罰・神罰や武力を振りかざして、幕府や朝廷に対し自らの要求を通そうとした。
特に有名なものに延暦寺・興福寺など。延暦寺は日吉大社の神輿、興福寺は春日大社の神木などの「神威」をかざして洛中内裏に押し掛けて要求を行ない、それが通らない時は、神輿・神木を御所の門前に放置し、政治機能を実質上停止させるなどの手段に出た。 白河法皇は「賀茂川の水、双六の賽、山法師。これぞ朕が心にままならぬもの」という言葉を残しているが、これは延暦寺の強訴を嘆いての事である。
強訴の理由は寺社の荘園を国司が侵害したり、ライバル寺社が今までより優遇措置を受けられるようになったりしたなどである。朝廷は、強訴を押さえるため、武士の武力を重用した。これにより、武士が中央政界での発言権を徐々に持つようになる。
寺社の強訴は平安時代から室町時代ごろまで盛んだったが、その後寺社権門の衰退と共に廃れていった。
[編集] 農民
江戸時代にお上に対し農民が集団で訴える事を強訴と呼んでいた。いわゆる百姓一揆のこと。年貢の減免や村役人の交代などが訴えられたが、とくに幕末期には世直し一揆が各地で頻発した。
慶応4年(1868年)3月の五箇条の御誓文とほぼ同時に掲げられた五榜の掲示では、徒党や逃散とともに明治新政府によって禁止された。