市川文蔵
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市川文蔵 | |
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市川文蔵
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生誕 | 1864年12月19日 |
没年 | 不明 |
職業 | 政治家・実業家 |
市川文蔵(いちかわ ぶんぞう、1864年12月19日(元治元年11月21日) - )は、明治時代の山梨県の政治家、実業家である。現在の山梨中央銀行の前身の一つである富士銀行の頭取で、多額納税者として貴族院議員にもなった。
元治元年11月21日(1864年12月19日)、市川太右衛門の長男として生まれる。家は代々農家で、明治11年(1878年)に家を継ぐ。明治24年(1891年)から都会議員、郡参事委員、県会議員等の職に就く。明治27年(1894年)に所得税調査員にされ、数年勤務する。明治28年(1895年)に五明村村長に推され、明治32年にこれを辞職。次いで県会議員となり、学務委員も兼任する。
また、明治18年(1885年)に富士銀行の創立に加わり、明治34年に同行頭取となる。その前年に山梨県農工銀行取締役になり、次いでその頭取となる。明治37年(1904年)に富士銀行を改称して市川銀行とし、再び頭取となった。明治40年(1907年)に富士水電株式会社取締役となり、明治41年に多額納税者として貴族院議員に選ばれる。明治43年に峡西電力株式会社取締役に推され、またその専務取締役となった。
地口を好み、貴族院の会議中にも他の議員を笑わせていたという。
[編集] 外部リンク
- 『山梨県水害史』より 三大案と一問題 市川文蔵 - 国立国会図書館 近代デジタルライブラリー
[編集] 出典
- 八紘社『大日本人物誌』1913年(この記述には、パブリックドメインの本書の翻案を含む。)
- 服部太喜弥『嗜好百種』1910年