山田三郎
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山田三郎(やまださぶろう)
[編集] 山田三郎 (経済学者)
1931年生まれ。主著は、『アジア農業発展の比較研究』(東京大学出版会、1992年)。
[編集] 山田三郎 (政治家)
同市は、1972年に市制を施行。同時に行われた市長選挙で、地主出身であり、保守系無所属である長根進午が当選。しかし、長根当選に当たり、贈収賄行為があったことが発覚し、長根はすぐに辞任。出直し選挙で、日本社会党・公明党・日本共産党が推す山田が、折からの革新自治体ブームに乗り、当選。1980年に実施された市長選挙では、返り咲きを狙う長根を退け、「誰も太刀打ちできない」状態で3選を果たした。社会教育施設を積極的に建設するなど、革新自治体が得意とする福祉政策を推進した。
が、サラリーマン新党などの推薦も取り付けて4選を果たした1984年頃から工業団地造成を巡る贈収賄の噂が浮上。1988年市長選挙では、公明党が自由民主党候補推薦に回り、落選。山田は、新座警察署に留置され、取調べを受けた後、政界を引退した。山田を支持してきた市職員労働組合の幹部は、教育委員会の管理職を外され、ゴミ収集に回されるなどの報復人事が行われた。
[編集] 山田三郎 (実業家)
泉陽興業およびエキスポランド会長(前社長)、全日本遊園施設協会(JAPEA)会長。自民党代議士秘書より現職に転身[1]。
エキスポランドのジェットコースター事故に関して、製造責任および管理責任を問われている。2008年4月29日、事故から1年が経つことから記者会見をし、「同年6月までに会長職も辞任し、退職金も返還すること」を発表。