山口重貞
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山口 重貞(やまぐち しげさだ、1641年(寛永18年) - 1698年5月13日(元禄11年4月4日))は、常陸牛久藩の第3代藩主。第2代藩主・山口弘隆の長男。母は諏訪忠恒の娘。正室は土井利隆の娘。側室は永井氏。官位は従五位下。修理亮。
幼名は長次郎。延宝5年(1677年)、父の死去により家督を継いで藩主となる。藩政にみるところは無い。長男が早世していたため、弟の山口重治をもって後継者にしようとしたが、これは不適格として廃嫡し、重治の長男である山口弘豊をもって後継者に指名した。元禄11年(1698年)4月4日、59歳で死去。法号は一応即円重貞院。
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