尊杲女王
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尊杲女王(そんこうじょおう、延宝3年6月23日(1675年8月14日) - 享保4年10月27日(1719年12月8日))は、江戸時代中期の皇族。後西天皇の第14皇女で、母は六条局梅小路定子。幼称を寿宮といった。
天和2年(1682年)9月18日光照院に入り、貞享3年(1686年)4月27日得度し、法諱を尊慶、のちに尊杲と改めた。光照院の先住は浄土宗だったが、尊杲女王は禅に帰依し、四宗を兼修した。尊杲女王を光照院の中興の祖とする。享保4年(1719年)10月27日、45歳で死没した。法名は大槻大和尚大禅師。墓所は京都市上京区行衛町の華開院にある。
[編集] 参考文献
- 芳賀登ほか監修『日本女性人名辞典』日本図書センター、1993年。