尊信女王
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尊信女王(そんしんじょおう、享保19年10月9日(1734年11月4日) - 享和元年9月25日(1801年11月1日))は、江戸時代中期の皇族・尼僧。第113代東山天皇の皇孫で、閑院宮直仁親王の第3王女。栄宮(よしのみや)と称した。
元文3年(1738年)2月に5歳で真如海院尊融尼の付弟になり、三時智恩院相続となった。延享元年(1744年)入寺して喝食になり、近衛家久の猶子になって得度し、法諱を尊真とし、後に尊信と改めた。戒師は知恩院大僧正鸞宿。尊信女王は仏に仕える者は艱難辛苦を自ら求めなければならないとして、自ら洛中を托鉢して歩いた。享和元年(1801年)9月25日、68歳で没した。追号は瓊林院尊信盛香大法尼。墓は京都東山知恩院墓地にある。
[編集] 参考文献
- 芳賀登ほか監修『日本女性人名辞典』日本図書センター、1993年。