尊乗女王
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
尊乗女王(そんじょうじょおう、享保15年2月17日(1730年4月4日) - 寛政元年3月7日(1789年4月2日))は、江戸時代後期の皇族・尼僧。第114代中御門天皇の第6皇女で、母は典侍清水谷石子。幼名は亀宮といった。桜町天皇の異母妹。
享保16年(1731年)10月、2歳で光照院相続が決定した。元文5年(1740年)9月、11歳で入寺。剃髪して尊乗と称し、道号を天融といった。宝暦6年(1756年)紫衣を許され、天明元年(1781年)10月二品に叙された。天明8年(1788年)1月、京都大火で寺坊が焼失したため、京都相国寺恵林庵に移住した。寛政元年(1789年)3月7日、60歳で死没した。墓は京都花関院にある。第119代光格天皇の代に入った寛政2年(1790年)3月6日、浄明心院と追号された。
[編集] 参考文献
- 芳賀登ほか監修『日本女性人名辞典』日本図書センター、1993年。