宗諄女王
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宗諄女王(そうじゅんじょおう、文化13年11月27日(1817年1月14日) - 明治24年(1891年)1月24日)は、江戸時代後期から明治時代前期にかけての皇族・尼。伏見宮貞敬親王の第10王女で、母は妃の一条輝子(一条輝良女)。伏見宮邦家親王・梨本宮守脩親王らの姉妹。幼名は万志宮。
文政2年(1819年)6月光格天皇の養女となり、霊鑑寺を相続して同6年10月入寺する。得度して法名を宗諄、道号を法山とした。慶応4年(1868年)7月紫衣を勅許される。明治6年(1873年)8月伏見宮へ復帰。明治13年(1880年)9月再び尼になり、同年12月中教正になり、明治15年(1882年)8月権大教正に補された。明治24年(1891年)1月24日、76歳で死没。墓は京都市左京区の光雲寺内伏見宮墓地にある。
[編集] 参考文献
- 芳賀登ほか監修『日本女性人名辞典』日本図書センター、1993年。