安藤次由
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時代 | 江戸時代中期 | |||
生誕 | 享保元年(1716年) | |||
死没 | 明和2年5月8日(1765年6月25日) | |||
別名 | 伊織(幼名) | |||
戒名 | 興仁院徳穏居士 | |||
墓所 | 妙源寺(愛知県岡崎市大和町) | |||
官位 | 従五位下帯刀 | |||
藩 | 紀伊国田辺藩主(御三家紀州藩附家老) | |||
氏族 | 安藤氏 | |||
父母 | 父:安藤信秀、養父:安藤雄能 | |||
兄弟 | 不明 | |||
妻 | 正室:北条氏朝の娘 | |||
子 | 男子5人、女子11人:乾之助、友楠、五百歳丸、 新太郎、娘(西洞院時名室)、娘(菅沼政識室)、 娘(西大路氏室)、娘(裏辻実本室)、 於槌の方、娘(安藤寛長正室) 養子:安藤寛長 |
安藤 次由(あんどう つぐゆき)は、紀伊田辺藩の第9代藩主。藩祖・安藤直次の弟・安藤重信の子孫で旗本の安藤信秀の次男。正室は北条氏朝の娘。第8代藩主・安藤雄能の養子。官位は帯刀。
享保元年(1716年)生まれ。幼名は伊織。先代藩主・安藤雄能が享保15年(1730年)3月晦日に死去したため、養子となって同年9月6日に後を継いだ。明和2年(1765年)5月8日に50歳で死去し、後を養子の寛長(永井直期の五男)が継いだ。
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