安宅 (砲艦)
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艦歴 | |
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計画 | 1920年 |
設計 | 田路担 |
起工 | 1921年8月15日 横浜船渠 |
進水 | 1922年4月11日 |
就役 | 1922年8月12日竣工 |
その後 | 終戦時上海で残存 |
除籍 | 1947年5月3日 |
性能諸元 (竣工時) | |
排水量 | 基準:725t 常備:820t |
全長 | (垂線間長:67.67m) |
全幅 | 9.75m |
吃水 | 2.20m (公試平均) |
主缶 | 艦本式缶2基 |
主機 | レシプロ2基 1,700hp |
速力 | 16.0kt |
航続距離 | 2,500NM / 12kt (石炭235t) |
乗員 | 118名 |
兵装 (竣工時) |
40口径12cm単装砲2門 40口径8cm単装高角砲2門 |
兵装 (1941) |
40口径12cm単装砲1門 40口径8cm単装高角砲1門 13mm連装機銃4基 留式7.7mm機銃4挺 (推定) |
目次 |
[編集] 概要
先に建造された「宇治」、「嵯峨」ではまだ旗艦として居住性、通信能力に問題があり大正9年度予算で本艦1隻が建造された。
公試ではGM不足が判明、竣工直後にバルジを追加した。そのため基準排水量826t、公試排水量955.9tに増加した。
終戦時上海に残存、戦後中国に接収され「安東」と命名される。
[編集] 艦歴
- 1921年8月15日 横浜船渠にて起工
- 1922年4月11日 進水
- 8月12日 竣工
- 1934年佐世保工廠にて性能改善工事。バラスト搭載、缶の重油専焼化、艦尾延長、前マストを三脚マストに変更などを実施
- 1937年呉工廠にて特定修理
- 戦時中は上海方面で船団護衛などに活躍、終戦時在上海。
- 1947年5月3日 除籍
[編集] 参考文献
- 雑誌「丸」編集部、写真|日本の軍艦 第9巻 軽巡Ⅱ、光人社、1990年