ノート:安全保障
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何と言うか、素人が安全保障の意味を履き違える典型的なケースの記事なんで唖然とする訳なんですが、定義からして特殊な状態になってます。一歩譲って定義を認めたとしても、軍事に限定的な記事になっているのは誤りでしょう。
それから、goo辞書などを参考にしてるのだとしたら気をつけて下さい。辞書と言うのは時々不適切なものもあるので、鵜呑みにすると、定義の時点からボタンを掛け違える羽目になります。キリカ 2006年11月18日 (土) 13:38 (UTC)
- 唖然とされるヒマがあったら、過誤を修正するなり、記事内容を充実させるなりしては如何?--新芽 2006年11月18日 (土) 14:59 (UTC)
それは何かを含めた意味として言ってるのですか? だとするなら、「認識を共有してない状態で、遠回しな表現を用いればややこしくなるので控えるべき」と言います。額面どおりの意味としておっしゃるのなら、充実や修正という提案は不適切だと思います。現状はindiscriminate collection of information(乱雑な情報収集)状態と言えますので分割や削減がよい。戦略、理論、歴史は分けて、記事は安全保障のみにしスリム化した方がよいと思います。
内容については安全保障の定義は、やはり
- 国民の暮らしを守る
という事でしょう。食料、エネルギー、経済、金融など、が外されているのは、やはり奇妙な状態です。キリカ 2006年11月19日 (日) 16:34 (UTC)
- では唖然として「記事名の変更」など提案せずに、そのように編集するなり、その編集方針をより具体化して提案するなりしては如何?--新芽 2006年11月20日 (月) 07:21 (UTC)
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- 形式的な言葉はどんな場面でも通用する魔法ではありません。新芽さんの言ってるのは、原則論であって中身のある提案ではないでしょう。むしろややこしくしてるだけの、キュートなトラブルメーカーです。
- 実のところ、新芽さんは何を言いたいのか分かりません、さらに言うと問題の要諦を理解してるのかすら怪しい。含んだ言い方は控えた方がいいと言ったものの、私の「唖然」も、実は含み言葉でして「どこから対処すれば良いか、改善が難しい」という意味です。どこから対処するか悩む人に「しては如何?」は、提案というより勧誘ですよね。
- 私は「理解する者が参加すればよい」という前提で進めているので、端折っている訳ですが……。なぜ参加してるのか… まぁ アレですよね、アレ。キリカ 2006年11月23日 (木) 19:22 (UTC)
安全保障の理論に範囲を限定してそれ以外の記事は他の項目に移転したり、削除したり、縮小するのはいかがでしょうか。理論にのみ限定して、さらに発展的な内容を他の項目に移せばそれだけで大分スリム化できると思うのですが。
あと、この項目の全体として
- 1安保の概念
- 2概説
- 3歴史
- 4国際安全保障体制:覇権、勢力均衡、集団安全保障、国連など
- 5軍事的側面:軍事力、核兵器、軍縮など
- 6非軍事的側面:経済安全保障、資源の安全保障、文化政策など
- 7安全保障でよく用いられる用語
- 8関連項目
というのを基本形として、現在の記事を整理して行くことはいかがでしょうか。 --Kazu 62 2006年11月28日 (火) 11:26 (UTC)
現在、安全保障を抜本的に整理していて、いくつか自分ひとりでは判断しにくい課題がでてきましたので、提案いたします。 「安全保障の歴史」の項目に山積していて、今は「学派・視点」の項目に移した個別的な記事についての処理(いくつかは別の記事と合体させたり、新しく項目を作り分類しなおし、ごく一部は削除しました)に悩んでいます。特に「非対称脅威」「海上権力史論」「航空兵力に対する評価」「構造的暴力」は安全保障の中でも比較的に関係性は薄いと考えられるものであり(重要ではありますが)、大規模に削除することも考えています。
あと、「安全保障の抱える問題」にも整理をしてみましたが、治安維持法改正や国土安全保障省の問題についてここで述べているのは、少し具体的、個別的すぎて不自然な感もあります。これもリンクだけ貼っておいて、詳細な情報はそちらに任せるのはどうでしょうか。
さらに「日本の安全保障」の部分は「日本の歴史」「日本の軍事」があるので、これもリンクだけを貼っておいて詳細はそちらに任せ、こちらの記事は縮小化すれば、すっきりすると思うのですが。 以上を提案します。
また、欠落していた「安保の非軍事的側面」についても現在執筆中ですが、ここについても何かご意見頂ければ幸いです。 --Kazu 62 2006年12月1日 (金) 03:56 (UTC)
残念ながら提案に対する反応がなかったため、独断ですが、取り合えず基本的な情報についての加筆と構成上の整理は行いました。これでひとまずは大規模な構成修正は終わったと思います。 --Kazu 62 2006年12月3日 (日) 07:06 (UTC)
[編集] 全体的な内容について
安全保障と自衛との比較を考えると、今のこの記事は非常に境界が曖昧で、どちらかと言えば自衛と安全保障を混同している、むしろ自衛とも取れる内容が多いように思います。この記事を読んでいても、安全保障は脅威に『さらされる前に』手段を講じて『安全を保つ』こと、自衛が脅威に『さらされたときに』手段を講じて『脅威そのものを排除する』という決定的な違いが見えてきません。大規模な改定が必要かと思いますが、皆さんの意見を伺いたいです。
—以上の署名の無いコメントは、121.102.6.100さんが投稿したものです。--Tabunoki 2008年5月25日 (日) 10:59 (UTC)
- 具体的な改善案を示していただけないといまいち理解しがたくちょっと意見しかねます。後半の意見についてのみ意見させていただくと、軍事的な安全保障においては「脅威そのものを排除する能力」と「脅威が現実になるまえに手段を講じる能力」は区別できない渾然一体としたのものです。実際に外敵を排除できる力がないと外敵の侵入を抑止できません--Tabunoki 2008年5月25日 (日) 10:51 (UTC)
[編集] 非武装で安全保障は可能か
編集合戦発生のため問題提起
>民主的平和論 民主国家同士は戦争をしないという経験則に基づいて、世界中を民主化したら戦争はなくなり、世界の安全保障は確保されるという考え方。理論上は、非武装でも安全保障が実現できるという点で、他の軍事バランス論による安全保障論とは一線を画している。その発想の源流はカントといわれ、カント的国際主義とも言われる。
上記の記述は問題、特に「非武装でも安全保障が~」の文が問題だと思います。本来の民主的平和論というのは民主主義国家同士で戦争は起こりにくく安全保障リスクを軽減できるというだけの話であって、非武装ではありません。事実と異なりますし、恣意的で誘導的と看做されても仕方ありません。フランシス・フクヤマは警察・軍隊がなくても戦争が起きなくなると書いているのですか?そうでないならあなたの個人的な解釈にすぎません。 そもそも民主平和論はあまり学術的に受け入れられてる理論ではないのですけどね。実際に起こった民主国家同士の戦争を「当時は普通選挙が完全じゃなかったから」とか「死傷者が少ないから」みたいな理屈をつけてことごとく無視してるので理論として信用されていません。主張の一つとして載せる権利はあるのかもしれませんが、書き方を改めないと駄目だと思います。--Diaspora 2008年6月6日 (金) 07:55 (UTC)
- 非武装ではありません。だから、「理論上は」と付け加えているのです。しかし、欧州諸国がまだ軍隊を持っているのは民主国家間の戦争のためではなく、あくまでも治安維持(あるいは欧州以外の独裁国への対処)のためです。戦争(対国家)と治安維持(対犯罪グループ)を混同してはいけません。フクヤマは、歴史の終わりの中で、アメリカとカナダは軍事的には真空地帯であるのにもかかわらず、軍事的緊張感が発生しないことを指摘しています。ソ連や、ポーランド、ルーマニアなどが、民主化によって、大規模な軍縮を行えたことも指摘しています。戦争する理由がなかったら、軍事バランス論、軍事力の有無とは関係なく、戦争など起こらないのです。軍事バランス論とは無関係な次元にあることが、民主平和論の一番の特徴なのです。しかし、非武装による平和実現という理論に、反発を持っている現実主義者がいることも十分承知しています。「武器なき平和などありえない」という万人闘争論が彼らの信条ですから。論争しても仕方がありませんので、あくまで異議があるというのなら、言い方を改めましょう。--ブラックモンブランアント 2008年6月7日 (土) 01:06 (UTC)
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- まず戦争抑止と治安維持を別のものと考える人が多いのですがどちらも国家の暴力装置であることには違いがなく、双方の仕事をこなせます。もちろん役割が応じて組織を分けた方が効率が良いので軍と警察は分けられていることが多いのですが、必ずしもそうではありません。たとえば日本やコスタリカのように建前上軍隊を持っていない国は重武装の警察によって軍の役割に代えます(今は自衛隊に格上げされましたが警察予備隊の性格を色濃く受け継いでいます)。逆に軍が治安維持に投入されることも珍しくありません(警察が軍隊から派生した物であることを考えれば当然の事です)。ですからどこの国も国境警備隊や沿岸警備隊といった警察と軍隊の中間的組織を持っています。さらに国家憲兵や警察軍といったまさに治安維持用の準軍事組織を持っている国もかなりあります。
- (米国人向けの本でよく取り上げられる)カナダとアメリカを例にあげられましたが、この両国はNATOや米州機構という共同体を結成している身内同士であることを忘れていないでしょうか。これは典型的な集団安全保障モデルです。さらにカナダ軍は立派な軍事力を有していますので軍事バランスと無関係に平和を築けると断言する問題があると思います(あくまでも「リスクの軽減」なのです)。国家連合や世界政府をつくって移譲するというのも軍縮を行う上での一つの手段ですがこれは民主的な覇権モデルとでも呼ぶべきものですね。--Diaspora 2008年6月7日 (土) 03:26 (UTC)
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- 横槍かもしれませんが、議論を拝見して民主的平和論について、私なりに言葉が足りないと思う部分を加筆修正してみました。少しでも改善されていればいいのですが…。確かにDiaspora様の仰るとおり、「理論上では非武装でも安全保障が…」というのは確かに特に初心者にとっては誤解を招きやすい表現であると思いますし、また民主的平和論は、歴史統計に基づいた学説であり、因果関係などについては議論がある意味で不完全な部分があることも踏まえた方がいいでしょう。しかしブラックモンブランアント様の仰るとおり勢力均衡とは全く異なる安全保障論があることもまた事実だと思います。それに民主的平和論は学術的に認められた議論でもあり、一般的な政治学の教科書でも言及されることがあります。また私の記述に不備や間違い等があればご指摘やご意見をお聞かせいただければ、そして引き続き改善を続けて下されば幸いです。--Kazu 62 2008年6月7日 (土) 02:15 (UTC)
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- 加筆ありがとうございます。ただ軍事バランスと無関係という表現はやはり非武装平和主義と混同を招いてしまうので悩ましいです。軍事バランスに大きな差がある場合、独立性や中立性を保つことは困難ですから・・・--Diaspora 2008年6月7日 (土) 03:26 (UTC)
民主的平和論を安全保障モデルの項目から平和論の項目に移動--Diaspora