孺子嬰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
政権 | 前漢 |
---|---|
廟号 | (なし) |
諡号 | (なし) |
姓・諱 | 劉嬰 |
生没年 | 5年 - 25年 |
在位期間 | 6年 - 8年 |
父 | 楚孝王・劉囂 |
母 | |
陵墓 | |
元号 | 居摂:6年 — 8年 |
孺子嬰(じゅしえい、4年 - 25年 皇太子在位6年 - 8年)は、中国前漢朝の最後の皇太子。姓は劉。諱は嬰。爵位は定安侯。
[編集] 略伝・概要
宣帝の玄孫に当たり、曾祖父は楚孝王・劉囂(宣帝の末子)、祖父は広戚煬侯の劉勲、父は広戚侯の劉顕である。彼は前漢最後の皇帝と称されることがあるが、帝位に即いた史実はない。
平帝が王莽により毒殺されると、王莽により3歳にして皇太子として擁立された。成人後に即位することが予定され、劉嬰は「孺子(じゅし)=子供」と称し、王莽が「仮皇帝(摂皇帝)」として摂政に当たった。王莽は居摂3年(8年)に高祖の霊により禅譲されたとして皇帝として即位すると、劉嬰を「定安侯」に封じた。
更始3年(25年)、方望と弓林が更始帝の先行きを危しと見て、数千人を率いて挙兵し、安定郡臨涇(りんけい)にて皇帝に擁立された。しかし更始帝の将軍李松らに攻められ22歳で戦死した。
|
|