大道寺直次
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大道寺 直次(だいどうじ なおつぐ、元亀2年(1571年) - 慶安4年(1651年))は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。大道寺政繁の嫡男。官位は内蔵助。正室は高城胤辰の娘。系譜上では4男とされているが、近年では長男である直繁と同一人物であったと考えられている。
はじめ北条氏直に仕える。1590年の小田原の役で父が自刃し、後北条氏も滅亡すると、母方の姓(後北条氏家臣遠山綱景の娘)を名乗り、遠山長右衛門と改名して黒田如水の家臣となる。その後、豊臣秀次の家臣となったが、秀次が1595年の秀次事件で自殺したため、福島正則の家臣となった。正則に仕えて関ヶ原の戦いにも従軍して功を挙げた。
1619年、正則が改易されるとしばらくは浪人したが、黒田長政、京極忠高らの家臣時代を経てやがて徳川家光に招聘されて幕臣となった。このとき、姓を大道寺に戻している。1651年、81歳で死去した。