大規模小売店舗立地法
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通称・略称 | 大店立地法 |
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法令番号 | 平成10年6月3日法律第91号 |
効力 | 現行法 |
種類 | 法律 |
主な内容 | 大規模小売店舗の配置及び運営方法について |
関連法令 | 地方自治法など |
条文リンク | 総務省法令データ提供システム |
大規模小売店舗立地法(だいきぼこうりてんぽりっちほう)は、大規模小売店舗の立地に関し、その周辺の地域の生活環境の保持のため、大規模小売店舗を設置する者によりその施設の配置及び運営方法について適正な配慮がなされることを確保することにより、小売業の健全な発達を図り、もって国民経済及び地域社会の健全な発展並びに国民生活の向上に寄与することを目的として制定された日本の法律である。略称は、大店立地法(だいてんりっちほう)。
[編集] 法律施行の背景
日本においては昭和40年代頃から各地で「スーパーマーケット」を初めとした大型商業店舗の出店が急増し、それに対抗するようにして地元商店街による大型商業施設の進出反対運動も盛り上がりを見せるようになった。
こうした問題を踏まえ、昭和48年には旧百貨店法の対象を拡大する形で「大規模小売店舗における小売業の事業活動の調整に関する法律」(大規模小売店舗法、略称「大店法」)が制定され、1974年より施行された。実際に調整にあたるのは商工会議所(商工会)に置かれる商業活動調整委員会で、商業者・消費者・中立委員の3グループで構成され、中立委員が中心となって調整を進めていた。1975年頃からは、大型店進出が集中するような地域では商業調整が厳しく行われ、極端な場合は出店調整にあたる商工会議所が出店の凍結を宣言する場合も出てきた。
だが流通の国際化とともに、主としてアメリカから「大店法は海外資本による大規模小売店舗の出店を妨げる非関税障壁の一種である」という批判と市場開放を求める圧力が強まり、平成以後はこうした外圧に対応する形で大店法の規制緩和が進められることとなる。特に重要な分岐点となったのは、1990年頃の日米貿易交渉におけるトイザらス進出をめぐる議論である。これによって大店法の規制が大きく緩和され、郊外への大型店出店が進むこととなった。また、1990年代半ばにコダックの訴えを受けて始まった「日米フィルム紛争」は、最終的には世界貿易機構 (WTO) の場で、日米両政府が日本の写真フィルム・印画紙市場の構造的閉鎖性をめぐって議論を繰り広げるという事態に到った。結局WTOパネルは米国の主張を斥け、この紛争自体は日本側の勝利に終わったとされるが、その審議過程では日本の大店法にWTO違反の疑いがあることも否定できない状況となった。この結果、2000年6月にはまちづくり3法の一部として、店舗面積などの量的側面からの商業調整を撤廃した本法が新たに立法化され、これに伴って大店法は廃止された。
[編集] 指摘される問題点
本法は、大規模商業施設の店舗規模の制限などを主目的とした大店法とは異なり、大型店と地域社会との融和の促進を図ることを主眼としている。このため審査の内容も車両交通量などをはじめとした周辺環境の変動を想定したものとなり、出店規模に関してはほぼ審査を受けない。これにより近年では各地で大型資本の出店攻勢が活発化しており、それにより既存の商店街がシャッター街化するケースも増加しているともされる。
商店街のシャッター街化は地元経済の縮小をもたらすだけでなく、徒歩生活圏における消費生活が困難になるという問題を生む。特にこれまで街の中心部の商店街で買い物をしていた高齢者は、商店街の衰退にとって日常生活を営むことが著しく困難になることが指摘されている。また、自動車以外の手段ではアクセスしにくい郊外の大規模店舗を中心とする消費生活は、徒歩と公共交通機関での移動を基本とする旧来型の生活スタイルに比べて環境負荷が高いことにも留意すべきとされる。