大森貝塚
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大森貝塚(おおもりかいづか)は、品川区から大田区にまたがる縄文時代後期~末期の貝塚。
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[編集] 概要
アメリカ人の動物学者・エドワード・S・モースが明治10年(1877年)に横浜から新橋へ向かう途中の大森駅を過ぎてから直ぐの崖に貝殻が積み重なっているのを列車の窓から発見し、発掘調査を行った。この発掘は、日本の考古学・人類学の幕開けといわれる。1955年に国の史跡に指定された。モースらの発掘した貝殻、土器、土偶、石斧、石鏃、鹿・鯨の骨片、人骨片などの出土品は東京大学に保管されており、1975年に全て国の重要文化財に指定されている。
[編集] 二つの貝塚碑
現在、大森貝塚に関する石碑は品川区側の遺跡一帯に整備された大森貝塚遺跡庭園内と、大田区側の大森駅近くの2ヵ所にある。前者は「大森貝塚」、後者は「大森貝墟」と書かれており、貝塚碑は1929年、貝墟碑は1930年に相次いで建てられた。
モースが論文に発掘場所の詳細を書かなかったこと、貝塚発見の報告文書に所在地が大森村と記述されたことから、当初の発掘地点について長い間、品川区説と大田区説の2つが存在した。しかし、その後1984年までの複数の調査により、東京府が大井村字鹿島谷(現在の品川区大井6丁目)の土地所有者に調査の補償金を支払った文書が発見されたこと、貝塚碑周辺の再発掘で貝層が確認された一方、貝墟碑周辺では見つからなかったことから、現在ではモースが調査したのは品川区側であったことがわかっている。