堀田正誠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
堀田 正誠(ほった まさみ、文政7年(1824年) - 文久3年5月12日(1863年6月27日))は、近江宮川藩の第8代藩主。堀田家宗家10代。
4260石を領した大身旗本・本多助信の次男。母は堀田正穀の娘。正室は奥平昌高の娘。継室は五島盛成の娘。子に岩城隆彰(三男)、娘(堀田正養正室)。官位は従五位下、豊前守、加賀守。
天保12年(1841年)、先代藩主・堀田正義の死により後を継ぐ。正誠は第5代藩主・正穀の外孫に当たることから近江宮川藩の嗣子となっていた。文久3年(1863年)5月12日、40歳で死去し、後を婿養子の堀田正養が継いだ。
|
|
|