土方雄房
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土方 雄房(ひじかた かつふさ)は、伊勢菰野藩の第5代藩主。
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時代 | 江戸時代中期 | |||
生誕 | 宝永8年4月1日(1711年5月18日) | |||
死没 | 宝暦8年11月20日(1758年12月20日) | |||
別名 | 彦五郎(幼名) | |||
戒名 | 大岑院殿賢徳養浩大居士 | |||
墓所 | 東京都文京区湯島の麟祥院 | |||
官位 | 従五位下、丹後守 | |||
藩 | 伊勢菰野藩主 | |||
氏族 | 土方氏 | |||
父母 | 父:土方豊義、母:魏光院 | |||
兄弟 | 土方雄房、土方雄端 | |||
妻 | 正室:北条氏朝の娘 | |||
子 | 養子:土方雄端 |
宝永8年(1711年)4月1日、第4代藩主・土方豊義の長男として菰野で生まれる。享保4年(1719年)に父が死去したため、その後を継いで藩主となる。しかし幼少のため、先代からの重臣で大叔父にあたる土方久長の補佐を受けた。藩政においては武芸より文治政策を採用し、学問を奨励している。寛延3年(1750年)1月25日に弟で養子の雄端に家督を譲って隠居する。
宝暦8年(1758年)11月20日、直前に死去した雄端の後を追うように江戸で死去した。享年48。
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