土屋忠直
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土屋 忠直(つちや ただなお)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。上総久留里藩の初代藩主。
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時代 | 安土桃山時代から江戸時代前期 | |||
生誕 | 天正10年(1582年) | |||
死没 | 慶長17年3月24日(1612年4月24日) | |||
別名 | 惣蔵(幼名)、平三郎(通称) | |||
戒名 | 琴窓静閑円覚寺 | |||
墓所 | 千葉県君津市久留里小市部の円覚寺 | |||
官位 | 従五位下、民部少輔 | |||
藩 | 上総久留里藩主 | |||
氏族 | 土屋氏 | |||
父母 | 父:土屋昌恒、母:岡部元信の娘 | |||
妻 | 正室:森川氏俊の娘 | |||
子 | 土屋利直、土屋数直、土屋之直 |
天正10年(1582年)、「片手千人斬り」で有名な武田氏の家臣・土屋昌恒の子として生まれる(生年は天正5年(1577年)や天正6年(1578年)という説もある)。父は忠直が生まれた年に天目山の戦いで武田勝頼に殉じた。
忠直は母に連れられて駿河国清見寺に逃亡していた。やがて徳川家康の召し出しを受けて家臣となり、徳川秀忠の小姓として仕えるようになる。のちに秀忠の「忠」の字を与えられて、忠直と名乗る。
天正19年(1591年)、相模において3000石を与えられた。慶長7年(1602年)には上総国久留里藩主となり、2万石を与えられた。慶長17年(1612年)3月24日に死去。享年31。後を子の土屋利直が継いだ。
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