四箇格言
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四箇格言(しか、しこ・かくげん、しかのかくげん)とは、日蓮宗の宗祖日蓮が他の仏教宗派を批判したものである。いわゆる真言亡国、禅天魔、念仏無間、律国賊(しんごんぼうこく、ぜんてんま、ねんぶつむけん、りつこくぞく)の四つをいう。諌暁八幡抄、御義口伝上などに書かれている。
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[編集] 概要
日蓮は、法華経を一乗とする立場から、法華経に依らない仏教宗派を謗法(誹謗正法の略)だとして批判した。これは法華経以前の釈迦が説いた教えは、すべて方便で説かれたものであるから成仏する道ではない、という爾前無得道論(にぜんむとくどうろん)に基づく主張で、それを各宗派の教えの特徴にあわせて批判したものである。
[編集] 真言亡国
真言宗では、法華経などの経典は応身の釈迦が説法したもので、大日経は法身の大日如来が説法したものであるとし「大日如来に比べれば釈迦は無明の辺域であり、草履取りにも及ばない」といっている。法華経にも一念三千の「理」はあるが、印と真言という「事」が無いから、大日経の方が優れている(理同事勝、りどうじしょう)などと主張している。そして真言宗は天台宗の一念三千をひそかに盗み取り、自宗の極理としている。
したがって本来の主人である釈迦や法華経を卑下し、生国不明の架空の仏で無縁の主である大日如来を立てるから、真言は亡国、亡家、亡人の法で男子が成長しない、という。
[編集] 禅天魔
禅宗は、釈迦が華を拈(ひね)り、大衆の中で大迦葉だけがその意味を悟って破顔微笑(はがんびしょう)した。これを拈華微笑(ねんげみしょう)、以心伝心(いしんでんしん)といい、それを以って仏法の未来への附属を大迦葉に与えたといっている。大梵天王問仏決疑経の中に「正法眼蔵・涅槃妙心・実相無相の法門があり、文字を立てず教外に別伝して迦葉に付属する」との経文通りに承伝してきた。
しかし不立文字・教外別伝(ふりゅうもんじ・きょうげべつでん)などと説き、経文を否定している。これは凡夫である自己を過信した仏法を破壊する業(わざ)である。涅槃経では「仏の所説に順ぜざる(したがわない)者あれば、まさに知るべし、これ魔の眷属なり」と説いている。また偽経である大梵天王問仏決疑経などの経典を引用するのは「不立文字」と矛盾相違する行為である。したがって禅は天魔の所業である、という。
[編集] 念仏無間
念仏宗(浄土宗や浄土真宗など)は、浄土三部経を所依とし、釈迦ではなく阿弥陀如来を立て、浄土宗の宗祖である法然などは『選択集』(せんちゃくしゅう)において、浄土三部経以外を雑修・雑行であるから「捨てよ、閉じよ、閣(さしお)け抛(なげう)て」(捨閉閣抛、しゃへいかくほう)と言って法華経を誹謗している。
しかし浄土経典は釈迦説法の中で方便権教の部類であり、法華経の開経である無量義経で「四十余年未顕真実」とある。また阿弥陀如来の前世である法蔵菩薩が立願した48願のうち、第18願の「いかなる罪人・悪人でも阿弥陀を念ずれば西方十万億土の極楽浄土へ往生することができる。ただし五逆罪と誹謗正法を者をば除く」という誓文に背き、法華経を誹謗しているから、極楽浄土に往生できるわけがない。このことは法華経譬喩品に「この経を毀謗する者は無間地獄に堕す」と説かれている通りであるから、念仏は無間地獄への法である、という。
[編集] 律国賊
律宗の教えは、釈迦在世の正法時代の法であり、小乗教の250戒などの戒律を根本の教義としている。日本では像法時代の中ごろに、衆生の機根を調理するために広まったもので、個人主義的色彩が強くこれらの戒律は末法の衆生の機根には合わないものであり、現実から遠離した世間を誑惑させる教えである。このような戒律を説いて清浄を装う律僧は人を惑わし、国を亡ぼす国賊である、という。
[編集] 考証
日蓮が四箇格言を行ったのは、時代における様々な背景なども考証し検討する必要があるという指摘がある。たとえば、浄土宗や臨済宗などの鎌倉新仏教が新しく成立した時に、奈良や平安などの既存仏教から論難排撃され、またそれらが当時の政治権力と結託していた背景もあり、したがって日蓮の法華宗もその中にあった、といわれる。
これは創価学会も、近年になってこの点を主張し「創価学会も似たような事情から他宗派を反撃した過去があるが、今後は攻撃されない限り協調していきたい。時代の変化を無視して今の世に『四箇格言』をそのままにしておくことは、かえってこちらが独善的と批判されかねない」などとして、上記のような四箇格言の解釈を捨てて、念仏や真言、禅などの宗派に対してこれまで厳しく破折してきたのを一転、それぞれの宗派を認めて極めて肯定的な見方を行っている(ただし、これは政治的なポーズであるという指摘もまたあり、創価学会を破門した日蓮正宗も、宗祖日蓮大聖人に背くものだと批判している)。以上、朝日新聞夕刊 平成14年8月12日の記事より。
また仏教では、新しく宗派を開く時に教相判釈(略して、教判)といい、釈迦の説法をその性質によって分類し、その中からどれが一番優れているかを選定し、自宗の教えの基礎とするかが常套である。これが成されないと宗派として成立しない。したがって、どの宗派の宗祖も他の教えや宗派を多少なりとも批判している。日蓮はその中でも「地獄に堕す」などと激しく他宗を論難した人であるが、これは日蓮だけに限ったことではない、という指摘がなされており、近代に至っても様々な角度から論考される問題を含んでいる。