四條畷神社
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四條畷神社 | |
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所在地 | 大阪府四條畷市南野二丁目18番1号 |
主祭神 | 楠木正行 他24柱 |
社格等 | 別格官幣社・別表神社 |
創建 | 明治23年(1890年) |
例祭 | 5月6日 |
四條畷神社(しじょうなわてじんじゃ)は、大阪府四條畷市にある神社である。建武中興十五社の一社で、旧社格は別格官幣社である。
南朝の将として戦い、四條畷の戦いで敗死した楠木正行を主祭神とし、以下の一族の将士24人を配祀している。
- 楠木正時、楠木正家、楠木正家子息
- 和田賢秀、和田正朝、和田紀六左衛門、和田紀六左衛門子息、和田紀六左衛門子息
- 大塚惟久、畠山與三職俊、畠山六郎、野田四郎、野田四郎子息、野田四郎子息
- 金岸(某)、金岸(某)弟、関住良円、関住良円子息、三輪西阿、三輪西阿子息
- 河邊石掬丸、譽田(某)、阿間了願、青屋刑部
付近にも楠公と付く地名が多く、現在も楠木正成、正行親子は地元の人々から「楠公さん(なんこうさん)」と呼ばれ慕われていて、この呼び名は「ちょっとなんこうさんにお参りしてくるわ」という感じで四條畷神社そのものを指すのにも使われる事も多い。境内やその周辺には桜が多く植えられており、春は多くの花見客でにぎわう。
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[編集] 歴史
正行の父である楠木正成が明治政府によって大楠公として神格化されたのに伴い、その父の遺志を継いで南朝のために戦い、命を落とした嫡男の正行も小楠公(しょうなんこう)と呼ばれ崇められるようになった。当地の平田神社神職らの、四條畷の戦いで敗死した楠木一族を祀る神社の創建の願により、明治22年(1889年)に神社創立と別格官幣社四條畷神社の社号の宣下が勅許され、翌明治23年(1890年)に創建した。
[編集] 交通
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 四條畷神社(玄松子)