吉川経秋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
吉川 経秋(きっかわ つねあき、生年不詳 - 弘和3年/永徳3年(1383年))は室町時代の武士。五郎次郎。道心。駿河守。父は吉川経盛、養子に吉川経見。
1350年、父の経盛から家督を受け継ぎ、吉川氏当主となる。安芸吉川氏は安芸分郡守護職の武田氏信に従い足利尊氏側で行動している。しかし分家筋の石見吉川氏は足利直冬側につき、足利直冬が南朝に帰順すると、同様に南朝に従った。
経秋はこの時期の吉川氏を纏めることができず、分家の石見吉川氏の吉川経兼・経見親子は南朝方として活躍し勢力を伸ばした。結局、経秋には男子がいなかったこともあり、娘の弥徳を一族の吉川経見に嫁がせ、婿養子として跡を継がせた。
|
|
|