勝川春章
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勝川 春章(かつかわ しゅんしょう、享保11年(1726年) - 寛政4年12月8日(1793年1月19日))は、江戸時代の浮世絵師。本姓は不詳、俗称は要助(あるいは祐助とも)。宮川春水に学ぶ。画姓は初め宮川、または勝宮川、後に勝川と称した。弟子には葛飾北斎がいる。
春章は、容貌を役者によって差別化しない鳥居派の役者絵とは異なる、写実的で、ブロマイド的な役者似顔絵を完成させ、大衆に支持された。そのはじめとなったのは、一筆斎文調との合作として明和7年(1770年)に発表した『絵本舞台扇』である。その後、文調と比較して、明快な色彩と、素直で誇張のない表現で、人気を博した。特に「東扇(あずまおおぎ)」の連作は、人気役者の似顔絵を扇に仕立てて身近に愛用するために、扇の形に線が入っており、大首絵(おおくびえ)の先駆的作品とされる。
勝川派は、役者似顔絵を得意として、多数の弟子を抱え隆盛する。天明後期には勝川派を代表する座を弟子の春好と春英に譲り、春章は肉筆画に専念していく。特に細密な美人画は当時から称賛されていたようで、「春章一幅価千金」と記されている。肉筆画の代表作としては、肉筆美人画「雪月花図」(三幅対、重要文化財指定、MOA美術館蔵)がある。