内藤長好
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
|
||||
時代 | 江戸時代中期 | |||
生誕 | 明和6年(1769年) ※明和8年3月21日(1771年5月5日)とも |
|||
死没 | 寛政3年11月5日(1791年11月30日) | |||
別名 | 幼名:銕之進 | |||
戒名 | 本隆院殿寛誉直心道証大居士 | |||
墓所 | 東京都新宿区新宿の太宗寺 | |||
官位 | 従五位下、大和守 | |||
藩 | 信濃高遠藩主 | |||
氏族 | 内藤氏 | |||
父母 | 父:内藤頼多、養父:内藤頼尚 | |||
妻 | 正室:朽木玄綱の娘 | |||
子 | 養子:内藤頼以 |
内藤 長好(ないとう ながよし)は、江戸時代の大名。信濃高遠藩の第5代藩主。高遠藩内藤家10代。
明和6年(1769年)、高遠藩嫡子の内藤頼多の長男として生まれる。父の死後、内藤頼尚が嫡子となったため、その養子となって安永5年(1776年)に家督を相続する。しかし、寛政3年(1791年)に嫡子をもうけぬまま死去した。23歳。陸奥国福島藩板倉家から頼以を養子に迎え、後を継がせた。
|
|
|