内藤信義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
内藤 信義(ないとう のぶよし)は、村上藩内藤家の分家当主。交代寄合旗本。
|
||||
時代 | 江戸時代中期 | |||
生誕 | 明和2年(1765年) | |||
死没 | 不明 | |||
別名 | 保之助 | |||
官位 | 従五位下豊後守、越前守 | |||
藩 | 交代寄合旗本5000石 知行地:駿河国・富士郡および駿東郡 |
|||
氏族 | 内藤家 (信成系) | |||
父母 | 父:内藤信智、 母:谷衛衝の娘 |
|||
妻 | 酒井忠温の娘 |
天明2年(1782年)3月、18才で内藤信庸の遺跡を継ぐ。同5年(1785年)12月9日、徳川家治に披露され、翌6年(1786年)12月2日、中奧の小姓となる。同7年(1787年)従五位下豊後守に叙任された。
寛政3年(1791年)9月16日に職を辞している。(以上「寛政譜」新訂13巻205頁)
[編集] 系譜
太線は実子、細線は養子を示す。 内藤信成 ┃ 信正 ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ 信照(棚倉藩) 信直(四男) ┣━━━━━━━━━━━━━━┓ ┃ 信良 内藤信全(旗本) 信有 │ │ │ 弌信(村上藩) 信有←────────┘ ┝━━━━━━━┓ ┃ 信輝 信庸(七男) 信朋 │ ├━━━┳━━━━━┓ │ │ 信旨 信邦 │ │ ┃ ┃ └─────→信庸=信庸の妻 信智(次男) │ │ 信智←───────┘ ┃ 信義
[編集] 出典
- 『新訂寛政重修諸家譜』13巻 続群書類従完成会、1984年