佐竹義忠
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佐竹 義忠(さたけ よしただ、享保15年9月15日(1730年10月26日) - 天明7年9月24日(1787年11月3日))は、出羽秋田新田藩(岩崎藩)の第3代藩主。第2代藩主・佐竹義道の三男。母は初代藩主・佐竹義長の娘・明鏡院。幼名は富之助。通称は多宮。官位は従五位下壱岐守、播磨守。
享保15年(1730年)9月15日誕生。長兄の佐竹義明が本家の藩主となり、次兄の佐竹義敏は早世したため、宝暦13年(1763年)3月29日父義道の嫡子になった。同年4月15日将軍徳川家治に御目見した。同年5月14日、父の隠居により後を継いだ。同年12月9日従五位下壱岐守に叙任した。隠居後、播磨守に改めた。安永9年(1780年)11月7日、養嗣子の佐竹義祇に家督を譲って隠居し、天明7年(1787年)9月24日に死去した。法号:観量院法性賢融。墓所:東京都板橋区小豆沢の総泉寺。
正室はいない。子に長男・佐竹義恭と娘(青木一貞正室)がある。
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