伏見 (砲艦)
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艦歴 | |
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計画 | 1903年度 |
起工 | 1903年3月22日(英国) 1906年3月22日(上海、工事着手) |
進水 | 1906年8月8日(上海) |
就役 | 1906年10月1日 |
除籍 | 1935年3月1日 |
性能諸元(竣工時) | |
排水量 | 常備:150t |
全長 | 垂線間長:48.72m |
全幅 | 7.47m |
吃水 | 0.69m (公試状態) |
主缶 | ヤーロー式缶2基 |
主機 | 2軸レシプロ2基 900hp |
速力 | 14.0kt |
航続距離 | NM / kt (石炭25t) |
乗員 | 45名 |
兵装 | 6cm単装砲2基 機銃4基 |
伏見(ふしみ)は、日本海軍の砲艦。「隅田」[I]とともに日本海軍初の本格的な河用砲艦である。
[編集] 艦歴
中国長江流域での権益保護の必要性から建造された。イギリス、ヤーロー社で1903年3月22日に起工、竣工後それを解体し上海に輸送した。上海に出張した川崎造船所により組立てを行い、1906年10月1日に竣工、二等砲艦に類別された。
1911年4月、日本軍艦として初めて長江三峡を越えて重慶まで遡行した。第一次世界大戦において、当初、中国が中立の立場であったため、1914年から翌年にかけて武装解除の上、抑留されたが、中国が連合国側に加わると復帰した。
1931年6月1日、砲艦に類別変更。翌年の上海事変において、上海や長江方面の警備に従事した。
1935年3月1日、除籍。その後売却され上海で解体された。
[編集] 参考資料
[編集] 関連項目
- 大日本帝国海軍艦艇一覧
- 伏見 [II] (砲艦)