伊藤東涯
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伊藤東涯(いとう とうがい、寛文10年4月28日(1670年6月15日) - 元文元年7月17日(1736年8月23日))は、江戸時代中期の儒学者。儒学者伊藤仁斎の長男で、その私塾古義堂の2代目。母の嘉那は尾形光琳・乾山の従姉に当たる。名は長胤(ながつぐ)。字は原蔵・源蔵・元蔵。諡は紹述先生。
温厚な性格の長者で父や弟たちを支えて古義学の興隆の基礎を築いた。父仁斎の遺した著書の編集・刊行につとめ、自らも「訓幼字義」などを刊行している。中国語・中国の制度史・儒教の歴史などの基礎的な分野の研究にも力を入れていた。また、新井白石、荻生徂徠らとも親交が深かった。
東涯の号は、自号であり、古義堂が京都の堀川出水下るの、堀川の東岸に在ったことに因むものである。妻は加藤氏、三男をもうけるが、長子と次子は早逝してしまい、三子の善韶(号は東所)が古義堂を継承した。
[編集] 著書
- 「用字格」3巻
- 「名物六帖」
- 「制度通」13巻
- 「古今学変」3巻
- 「弁疑録」
[編集] 伝記資料
- 「紹述先生伊藤君墓碣」(藤原常雅)
- 「東涯伊藤先生伝」(板倉勝明)