亜欧堂田善
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亜欧堂 田善(あおうどう でんぜん、寛延元年(1748年) - 文政5年5月7日(1822年6月25日))は、江戸時代後期の銅版画家。生れは陸奥国須賀川(現在の福島県須賀川市)。本名は永田善吉で、略して田善と称した。
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[編集] 生涯
安永元年(1772年)、伊勢国宇治山田寂照寺の画僧月僊(げっせん)について画を学んだが、寛政3年(1791年)、兄の死により家業である染物業を継いだ。白河藩藩主であった松平定信に才能を見出され、その命により谷文晁に洋風画を学んだ。寛政8年(1696年)、白河城下に移り住んだ。独自の銅版画を描き、その師については司馬江漢とも、定信に仕える蘭学者とも、長崎のオランダ人に学んだともいわれている。
[編集] 代表作
代表作に「両国橋図」「浅間山真景図屏風」などがある。