二条為明
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二条 為明(にじょう ためあき、永仁3年(1295年)-貞治3年/正平19年10月27日(1364年11月21日))は、南北朝時代の公卿・歌人。父は中納言二条為藤。
永仁4年(1296年)叙爵。元応3年(1321年)には左近衛少将になっていたが、元亨2年(1322年)解却された。以後復任して貞和3年/正平2年(1347年)従三位となり、観応2年/正平6年(1351年)南朝の京都回復時に、南朝より参議に任ぜられた。しかし彼自身は北朝側に留まり、延文元年/正平11年(1356年)北朝から改めて参議に任ぜられ、延文4年/正平14年権中納言に任ぜられ侍従を兼ねた。延文5年/正平15年(1360年)正三位に叙せられた。歌人としては後光厳天皇から『新拾遺和歌集』の撰定を命じられていたが、完成しないうちに貞治3年/正平19年(1364年)10月27日、75歳で薨去した。没後『新拾遺和歌集』の撰者の一人として認められた。